2008.06.22 Sunday
証 高橋新

私は牧師家庭に生まれました。
いまも両親は京都の舞鶴という地で牧会に預かっております。
両親が牧師と牧師夫人という環境もあり、私は生まれる前から母のおなかの中で礼拝を捧げ神様のみことばを聞いていました。
本当に恵まれた環境が与えられていたと思います。
常に周りには祈りとみことばがある中で育っていたため神様の存在は疑いませんでしたし聖書の言葉や救いも知識ではしっていました。
しかしその価値や本質は全く分かっておらず自分から神様を求めるようなこともありませんでした。
そのうち日曜日なのに友達と遊べないということからだんだん礼拝が嫌になっていったのを覚えています。
小学校一年の時に私の人生で大きな転機が訪れました。
ある時から私はクラスの女の子たちに嫌われいじめを受けるようになったのです。
きっかけはおそらく些細なことだったのだろうとは思いますが、大阪に引っ越すまでの4年間ずっとわたしは女の子から無視されたり悪口を言われたりしました。
無視され続けるうちに自分が悪いから無視されていたんだと考えはじめ、次第に自分を愛せなくなりました。
その考えはエスカレートしていき自分の存在自体を否定するようになり、まわりから自分を否定されたときには死のうかと考えたこともありました。
ただ、キリスト教の牧師の息子が自分を愛せないとか暗い部分を出したら世間から見てまずいだろとかそういうところはなぜか強く意識し、その暗い部分を表面上に見せないように演じようとしていたのでまわりに相談できない状況が続きました。
そのような僕が変わったのは高校一年の夏のときに両親に行かされた教団のキャンプでした。
そこに参加していたスタッフの中に、以前から面識のある大学生のお兄さんがいてゆっくりと話をする時間が与えられました。
はじめは音楽の話やらをしていたのですが、何のきっかけから昔のいじめられた話をしていて、気付けば「自分が嫌いだ」ということを相手にぶちまけていましたが、その方は一通り僕の話を聞いてくれたあと「あらちゃんは自分のことを嫌いやとか人から愛されていないとかいうけど神様はあらちゃんを一方的に愛してくれてるんやで」と言ってくれました。
そのとき不思議なように神様が自分をずっと愛してくださっていたことがわかり、知識としてはおぼえていたヨハネ15:16の「私があなた(がた)を選んだのである」という言葉がどれほど恵みかを理解することができました。
そのときからだんだん自己嫌悪の思いからは解放され、いまでは神様から愛されている自分を愛せるようになりました。
またそのいじめ等のことを通してすこしは謙遜の心が与えられたのではないかと思います
私もその変わるきっかけを作ってくれた方のように、神様との出会いを作れる存在になりたいと願っています。
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